治山事業に携わった頃のはなし

平成六年三月神奈川県退職こじまたくみ 

 神奈川県には山と海があって私の住んでいる武蔵野市からは近かった。

 思わぬことから神奈川県に就職して横浜で一五日間の研修を受け、最初の赴任地である清川村宮ヶ瀬の東丹沢治山事業所に行ったのは昭和三三年五月一日であったと覚えている。舗装されていない道に走っているのはバスくらいであった。用意されていた下宿にその日から泊まることとなったが、足かけ二年ほど経ってから武蔵野市の家から井の頭線と小田急線に乗って通勤するようになった。吉祥寺駅から井の頭線で下北沢駅に出て、小田急線に乗り換え本厚木駅に降りた。乗客は未だ少なく座って通勤することが出来たが、ロマンスカーが走っていたかどうか記憶にはない。本厚木駅から土山峠を越えて宮ヶ瀬までは車に乗り、長い時間がかかったので小田急線の窓からの記憶より車からの景色の方をはっきりと覚えている。今、宮ヶ瀬は丹沢湖の湖底にある。

 これは、それからの長距離通勤の間に思い浮かんだほんの幾つかのはなしである。

 最初に手がけた仕事は、すでに予算が決まって引き継いだコンクリート堰堤の設計施工監督であった。翌春に完成したこの提高八メートルの堰堤に、前庭の洗堀防止のため引き続いて前堰堤を作るべく設計作業に入っていたとき、たまたま大雨が降り調査してみると堰堤の前庭は二メートルの洗堀を受け、提底が渓流いっぱいに広く露出していた。ただちに、本堰堤と前堰堤の間に水叩きと称するコンクリートの床を張る設計とすることとした。それまでは大学の研究室で実験研究して得た水叩き理論を適用して、水叩き部分を天然砂礫とする工法の実施を目論んでいたのである。

 設計では先ず最初に前庭部分の渓床の堀取り、いわゆる床堀の数量をどのようにして計算するか検討した。治山事業従事者が持っていたマニュアルの中から、四角柱体法と三角柱体法を比較検討してみた。

 これらは、堀取る渓床の水平面を例えば一メートル正方形の「網の目」で覆い、堀取る底から渓床面までの高さを「網の結び目」毎に測量することから先ず始める。それから、四角柱体法の場合は「正方形の網の目」毎の面積に、四隅の高さを各々足して四で割った値を掛けて体積を算出し、それらを全て集めて床堀必要数量を算出する。同じく三角柱体法の場合には「網の目を二分の一にした三角形」毎の面積に、三隅の高さを各々足して三で割った値を掛けて体積を算出し、それらを全て集めて床堀必要数量を算出する。そしてここでは三角柱体法を床堀数量が比較的正確に出るということで採用することとした。

 時を経て、平塚や本厚木、新松田には小田急線のロマンスカーで通勤するようになった。吉祥寺駅から中央線で新宿駅に出て小田急線のロマンスカーに乗り換えると、停車駅は向ヶ丘遊園駅、本厚木駅、新松田駅であり、車中では何時も座って本を読んでいるか寝ていて、立って通勤した記憶はなかった。

 「何か面白い問題を出してくれませんか」とまだ県に入り立ての治山技師に話しかけられたのは、このころのことだったと思う。私の出した問題のなかで、堰堤の体積の計算法に「六面体法」というのがあるが、この計算式の意味は何だろうか、というのがあったことを覚えている。

 さてここで、治山従事者が持っているマニュアルのなかに「六面体体積算出法」というものがあるが、この見慣れない算出式にはいったいどんな意味と理由があるのか考えてみることとしよう。

   図 式-1

 この算出式には係数として六分の一という分数が出てくる。普通、平行なものの平均というものは両端の数値を足して二で割ると思われているので、このようにすると二の倍数しか出てこない。六が出てくるのは三乗の変数を微分した場合などが浮かぶが、ここではもっと簡単に考えてみることにする。つまりそれは、三角柱体法が使われているのではないかと思われるからである。

 この六面体といわれる堰堤体は六つの平面で囲まれた立体であるが、上面と下面の二面だけが平行で、前面と後面、左面と右面は一般に互いに傾斜している立方体であり、この堰堤体において平行な二面を上下面とする断面の上面の幅を "a" 下面の幅を "b"、両面間の 高さを "c" とすると、平行な上面の長さが "l" 下面の長さが "m" となる。

 ここからは柱体法で考えてみる。まずこの六面体の断面積を

    c × ( a + b ) ÷ 2

と算出する。すると四角柱体法ではこの断面の四隅の長さを各々足して四で割ると、つまり

( 2 × l+ 2 × m ) ÷ 4

となり、先に計算した断面積に掛けると体積が得られる。

    図 式-2

  次に三角柱体法で考えてみる。まずこの六面体の断面積を二個の三角形に分け、それぞれの断面積を

c × a ÷ 2

c × b ÷ 2

と算出する。次にそれぞれの三角形の三隅の長さを各々足して三で割り、つまり、上面の幅 "a" を含む三角形には上面の長さ "l" を二個と下面の長さ "m" を一個足して三で割り、下面の幅 "b" を含む三角形には下面の長さ "m" を二個と上面の長さ "l" を一個足して三で割り、長さを算出する。それから、先に算出したそれぞれの断面積にこの長さを掛けて体積を二個算出し、合計すると求める体積が得られる。

    図 式-3

 この二つの計算方法で得られた値は一般に一致しない。"a" と "b" 、"l" と "m" の可能な入れ替えをしてみると四角柱体法では一種類の数値しか得られないが、三角柱体法では二種類の数値が得られる。そしてこの三角柱体法の二種類の数値の平均は丁度四角柱体法の数値に一致している。 この場合、一般の堰堤体の体積は三角柱体法で算出された小さい方の数値と一致しているのである。だからこの六面体体積算出法が治山事業従事者のマニュアルに載っているのである。

 横浜へは、吉祥寺駅から始発の井の頭線に乗って終点の渋谷駅まで行き、そこから東横線の始発に乗り換え終点の桜木町駅に降り、歩いて通勤した。最初の頃は国鉄運賃が安かったので東京駅経由で桜木町駅まで通勤したこともあった。時には横浜駅から更に京浜急行の特急に乗って京浜中央駅に降り、歩いて横須賀まで通勤したこともあった。神奈川の電車の旅は、ほとんど本を読んでいるか寝て過ごした。おかげで色々な本と出会い、色々な本屋を知ることが出来た。神奈川の旅は本屋巡りと本を読む旅でもあった。

 三角柱体法は色々なことを考えさせてくれた。平面に常に安定して立つことが出来るのは三脚であって四脚ではない。四脚の机はがたつくが、いわゆる三脚はがたつかない。脚の先三点を結ぶ平面は必ず存在するが、脚の先四点を結ぶ一つの平面を作ることは非常に難しい。つまり一般に一つの平面は三点でつくられ、それ以上に点が増えると三点でつくられる平面はどんどん増えるので、四角柱体法では六面体の体積を正確に算出することが希なことになるのである。これが治山事業従事者のマニュアルに六面体体積計算法が取り入れられた意味と理由だったのであろう。

 神奈川県は遠かったとも近かったとも、今は定かではない。電車の旅を終わってゆっくりでくつろぎながら、シャーロックの検索した結果が音もなくモニター画面に現れているのを眺めている。            

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